2014年10月19日日曜日

日本人の身体 安田 登 (著)

「膝」という言葉は「膝頭」を指すが、「膝の上に乗せる」というと「太もも」を指すように、日本人は身体を曖昧でおおざっぱに捉えてた。年を重ね、体が不調になると、不調を取り除くのではなく、健全な体は求めず、その不調と付き合っていこうとするのが昔の日本人だった。が、西洋文化が入ってくるにつれ、部位がポイント化され、病気は細分化する。悪いことではないが、危険なところもある。西洋文学との比較、日本古典文化や能の世界観、漢字の語源から「からだ」と「こころ」の本来の在り方を明らかにした一書。






今すごく気になっていることがあって「あとがき」部分を書く。少しだけネタバレを含む。








あとがきにの最後に次のような記述があった。

 体力的なものは考え方ひとつで変わると書いたが、しかしだからといって「考え方ひとつでものごと何とでもなる」というような精神論を開陳する気は毛頭ない。「こういう考え方をすれば体は楽になる」などというハウツーなどもない。
 だいたい「からだがつらい」といっている人に「考え方ひとつで楽になる」などということは決していってはいけない。考え方は一朝一夕には変わらないし、変えてはいけないものなのだ。
カウンセラーがラショナルビリーフを提示することをさらっと否定しているように取れる。私自身20代前半で、とある先輩からの「私はこう思う」という全力のポジティブシンキングにさらされ続けた結果、考え方を大きく変えてきた経験があり、私もそういう存在でありたいと考えていたが、これを読んで一部瓦解した。一律ではダメだ。こと体を壊した人に対しては気をつけなければならない。では、体を壊した人はどうするのがよいか。それについて次のように続き、終わる。

 古典をゆっくりじっくり読んだり、昔の人の世界にたらたらと浸っているうちに、なんとなく体が緩んでくる、それを待つ。それが大事だ。
 最後にちょっと我田引水すると、古典の世界に生きる手っ取り早い道は古典芸能の世界に浸ることだ。古典芸能の舞台に足を運ぶのもいいし、古典芸能を習ってみるのもいいだろう。古くて新しい世界が見えて来る。

「体が緩むまで待つ」という切り口は本当に感銘を受けた。なぜ古典を読んだり、古典芸能の世界に浸ると体が緩んでくるかは、本書に散々例が紹介されているので、気になる人は本書を紐解くことをお勧めする。とはいえ、古典に慣れていない私は読むのに少し骨が折れたので、また改めてじっくり読みたいと思う。



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